最近、風呂場ん中で読書をするというのにハマっている。
湿気で本がフニャフニャになるのだが、ま、あまり気にしないことにしている。
昨日から「またふたたびの道・砧をうつ女 (講談社文芸文庫)」を読み始めた。正直、私は後悔している。
こんな良い本を風呂場とかで読むのは罰当たりだという気がしている。
またふたたびの道・砧をうつ女 (講談社文芸文庫)の中にでてくる、ある言葉は私を幼少の時分へとタイムトリップさせてくれる。
誰の心の中にもある風景。「またふたたびの道・砧をうつ女 (講談社文芸文庫)」の中にはそれがあるような気がする。とりあえず表紙がフニャフニャになってしまったので、もう一冊買うかも知れない。
息子を持つ母親ならしびれてしまうようなシーン
「砧をうつ女」は、第66回芥川賞受賞作品。終戦近い時期、病気で母を失う少年の物語。戦争も、母が朝鮮半島生まれのことも重要な要素なのですが、それが主ではなくて、母親の姿そのものを描いたような作品です。後半の洗濯物のしわ伸ばしをする母親の姿が印象深く書かれているところがすてきです。火のしを使わないとき、重ねた服の上に布地をかぶせて、砧で打つ姿を、息子である少年がじっと見つめていて、母の仕事をしている姿を見るのが好きだと思うなんて、息子を持つ母親ならしびれてしまうようなシーンです。

